ピーター・ラスレット「人生四段階区分説」

イギリスのピーター・ラスレットという歴史学者が、人生四段階区分論を提唱されています。

この四段階に区分することについては異論は少ないと思います。

右側のサード・エイジとフォース・エイジが高齢者/老人=シニアということになります。

問題は、何歳くらいからがサード・エイジ、フォース・エイジなのかということです。

ラスレットは、一元的に決めることには反対の立場で個人が決めることが大事だとしています。

あなたは何歳からがサード・エイジだと考えますか?

そして、この四段階の内、サード・エイジが「人生の全盛期」と主張したことが最大の特徴です。

これまで、セカンド・エイジが青春で元気で全盛期というイメージを持っていました。

親からもそんな風に言われてはっぱをかけられていたような気がします。

でも、私も50歳を越えて始めてその全盛期の意味がわかるようになった気がしています。

いや、むしろ全盛期にしなければならないという使命があるように感じてきました。

ここでは詳しい理由には触れませんが、私は95歳まで生きると決めて宣言しています。
とにかくそのように努力してみることにしました。

さて、いよいよ「人生の全盛期」について考えていきましょう。

人の寿命って思っている以上に延ばせるものでしょうか?

その前に、長寿化の意味を考えてみたいと思います。

この図が示すことは主に2つ。

1)長寿化によってAの点が右に伸びた=寿命が延びました。
2)ファースト・エイジ、セカンド・エイジはあまり変わっていない。

Aの点が右に伸びた理由は何が大きいのでしょうか?

やはり、社会環境の変化が大きいでしょうね。

例えば、エネルギー消費と寿命があるところまでは正の相関があるんです。

そして、医療の発展が大きいし、上下水道完備による衛生面の改善、さらに安全志向になって不慮の事故も減りました。

もちろん、個人の努力によるところも少なからずありますね。

ラスレットはセカンド・エイジの終わりは定年制度や年金制度などの制度によって決められるため大きく変わっていないとしています。

セカンド・エイジの終わりが変わっていないことから、高齢者期間(だけが)伸びたとみることもできます。

そこで、ラスレット及びその後の人たちが「Bの点をどこに設定するか」の重要性を説くようになったようです。

私は、Aの点を「95歳」、Bの点を「できる限りAの点に近づける」ことを人生の目標にしました。

そこからいろいろな試行錯誤が始まっています。

ちなみに、男性の平均寿命が80歳なので95歳はかなり無理な目標かもしれませんが、夢はでっかく。

放送大学の「人口減少社会のライフスタイル(’11)」で宮本みち子教授の「男女の寿命の差をつめてみても良いのではないか」という提言にドキッとしました。世界的に寿命差があることを受け入れてしまっている男性たちに感じて欲しいメッセージです。

追記:私なりに気になっていたら経済産業省のメタボ健診すべしの根拠として示されたデータにヒントがありました。
【発見!】男女の寿命の差はここからかも?

 

広義の「仕事」には喜びがあります。

ただ、家族を養うという義務を負った「労働」には達成感はあったものの喜びや幸せは限定的だったような気がしますね。

かつては長寿化など気にせずがむしゃらに「労働」してきた気がしますが、良かったのでしょうか?

長寿化に対して、定年延長が行われましたが寿命の延びに追いついていないのは明らかです。

だからと言って、60歳定年制を65歳に、70歳に再延長すればこの問題は解決するのでしょうか?

ラスレットは、セカンド・エイジの終わりは定年退職制度や年金制度(支給開始年齢)に支配されるとしており、つまりC点は制度で決まるとしています。

今も政府はA点が右へ延びたからC点も右へ延ばそうとしています。

年金支給年齢を遅らせないと年金制度がもたないのは明らかですからね。

C点を右へ延ばせば税収も確保できるし、年金保険収入も確保しやすくなって、年金支給を遅らせられれば計算上はなんとかなります。

国民は、文句を言いながらもそれを受け入れてしまっています。

私は正直、受け入れたくない。

45歳くらいのときからそう思ってきましたがズルズルと現状に流されてきました。

仮にB点を年金支給の時期だとするとB点は限りなくA点に近く、C点もB点に近いことが都合が良いわけですが、何だか人間をやっているのが虚しく思えちゃうのですけど、気のせいでしょうか?

政治の都合で人生をコントロールされちゃって良いのでしょうか?

 

自分でコントロールしたければ、決断しなければなりません。

ラスレットの一番の功績は「サード・エイジは、人生の全盛期である」と主張されたことだと言われています。

余生をどう過ごすかはもちろん個人の自由ですが、余生ってどの部分なのでしょう?

私は余生はフォース・エイジだとしました。

サード・エイジこそ、全盛期なのです。

まだまだ余生ではない。

そう信じます。

平均寿命が65歳の頃は、55歳で退職して残りの約10年がまさに余生。

でも、55歳で上がりで、後は余り?、、、かなり寂しいですね。

それが、長寿化によって平均寿命が85歳になった今はフォース・エイジを10年間として差し引くとサード・エイジは20年もあります。

私は95歳まで生きたいと思い、そのように努力しますからサード・エイジは30年もあります。

超ラッキー!

 

セカンド・エイジでは、資産作りが中心でしょう。

子孫も大事な財産。

自分の子どもだけでなく次世代に繋ぐこと、有形/無形のすべてが資産になるのだと思います。

そのために、セカンド・エイジにはプロフィットが必要でした。

今セカンド・エイジを歩んでいる人は、有形/無形の資産形成を意識されると良いと思います。

私は残念ながら気付くのが遅かったので資産が足りていません。

特に95歳まで生きるには全然足りません。

サード・エイジの中で補っていく必要があります。

でも、大丈夫。

「全盛期」ですから。

今サード・エイジを歩んでいる人は、私のように足りない部分を補う必要がある人もいると思いますが、この「全盛期」を大いに楽しみましょう。

今後は、そのための提案をしていければと思っています。

図にあるように、政策に惑わされてセカンド・エイジを延長するのではなく、むしろ目処がたったところで決断をして、可能な限りフォース・エイジを短くする努力をしつつ、ロングなサード・エイジをゆったりと過ごしていきましょう。

なにせ「全盛期」なのですから。

 

ラスレットのもう一つの重要な言葉が「全盛期は自分で決める」でしょう。

多くの人が学生を終わったら会社に就職してセカンド・エイジを始めると考えています。

社会がそうすべきとして押し付けているようでもあります。

そして、多くの企業に定年制度があり今は60歳、再雇用で65歳までという制度になっていますので、就職する年齢に少々の違いがあっても、リタイヤするときは皆同じ年齢となります。

つまり、サード・エイジは皆同じ60歳(C点)あたりから始まるようです。

そしていつまでをサード・エイジとして過ごすのか(B点)、これこそは個人が決める必要がありそうです。

そのためには自らの寿命(A点)を決める必要があるのです。

C点は左方向へ、B点およびA点は右方向へ延ばしていきます。

そうやってサード・エイジの最大化、全盛期の最大化を実現できます。

C点の左方向への移動は、やはりアーリーリタイヤメントでしょう。

自営業者の特典は、このリタイヤメントの時期を自己の意志で決めることができることだと思います。

そのためには、子どもを早く産んで早く育てるということも選択肢の1つですし、そもそも子どもがいないあるいは独身でいた方が、、、という人が居ても良いはず。

私はいろいろ考えてA点を95歳としました。

そうするとB点は85歳くらいでしょうか。

C点は待った無しですね。

ここで一つの課題にぶち当たりました。

A点95歳まで生きるための資金がまったく足りません。

さすがにA点95歳まで持たせるには、再雇用制度でC点を65歳にするなんて70歳にするなんてあり得ません。

少しでも若い内に今のサラリーマン年収を上回る年収を得ないことには、仙人のような生活をせざるを得ない状況に追い込まれます。

既に現実的ではないですね。

「じゃぁ、どうすりゃいいんだよ!」って方は「サード・エイジのデザイン」を参考にしてください。

また、「お金のこと」では、その資金面について、「健康のこと」では健康面について追求していくことにします。